監修者:中山 啓子(日本クレアス社会労務士法人 ディレクター 社会保険労務士) |
M&Aにおける最終価格決定やPMIの取り組み方を左右する人事労務デューデリジェンス。本記事では、実務に精通する専門家が考える人事労務DDの目的や調査ポイント、抽出した情報の活用方法について解説します。
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人事労務デューデリジェンスに必要な2つの視点
デューデリジェンスとは、M&A交渉時の価格決定前に売り手企業の経営状況や企業価値を調査することです。調査の対象となる項目は多岐に渡りますが、財務や法務、労務、人事、ITなどが対象となります。なかでも重要な調査対象が「労務」と「人事」です。
労務を対象とするデューデリジェンスは労務デューデリジェンス、略して「労務DD」と言われています。詳しくは後述しますが、過去から現在までの労務コンプライアンス遵守状況を確認し、M&A実施後に買い手に移転される労務リスクを洗い出す調査となります。
これに加えて、人事を対象とするデューデリジェンスは人事デューデリジェンス、略して「人事DD」と言われています。
人事DDでは、買収する会社の組織風土や企業文化、人員構成や人件費や人事制度上のギャップ等、売り手企業を買った後のPMIやそれに関連する人事マネジメントに役⽴てる情報を収集する調査となります。
PMIを実務的に手掛けるのはもちろん買収後となりますが、PMIの準備を始める時期は買収後からでは遅く、少なくても人事DDの段階でその後に待ち受けている人事マネジメント上の課題を洗い出しておくことがポイントです。
このようにデューデリジェンスと一括しても過去から現在までの労務コンプライアンス遵守状況を洗い出す労務DDに対し、人事DDは現在から将来に向け、PMIを見据えた人事マネジメントの課題抽出を行うDDである点に違いがあります。
▼以下の記事では、中小PMIガイドラインについて解説しています。
労務デューデリジェンスとは
労務デューデリジェンスの洗い出すべきポイント
労務デューデリジェンスにおいて洗い出すべきポイントは以下のとおりです。
労務DDを進めていく中で特にフォーカスする点を確認しましょう。
就業規則、整備運用状況
就業規則は一回作って終わりではありません。労働関連法令は頻繁に改正されますので、その都度就業規則を変更する必要があります。急激に成長してきたベンチャー企業などは就業規則に記載されていない社内ルールがいつの間にか存在していたり、運用実態と規程に乖離があるケースも多いです。
また、就業規則の効力発生は、従業員への「周知」となりますが、就業規則を従業員がいつでも自由に見られる状態になっていない会社も散見されます。
雇用契約書や労使協定の締結、届出状況
雇用契約書や労働条件通知書においては、法律上求められている書面明示事項が欠落していたり、契約更新手続きが適正でなく、労使トラブルリスクを抱えながら運用している会社もあります。
また、労使協定の代表格である「36協定」は、届出をしてはじめて時間外労働をさせることができる労使協定となりますが、担当者の認識不足で本社のみ届出ているようなケースもありますので留意が必要です。
賃金の支払い状況
賃金の未払いがあれば、買い手の債務として移転されますので、売却価格に影響を与えます。労務DDにおいては一人別の賃金台帳から「だれにどれくらいの未払賃金が発生しているのか」という視点で一人ずつ検証し、確証的な試算を行うため、減額理由について根拠ある説明資料を提示することができます。
労働保険、社会保険は未加入問題
従業員の希望により社会保険には加入させていないというケースもありますが、未加入であることが社保調査の結果、判明した場合は遡って加入することになります。2022年10月からは社会保険の適用拡大の範囲が501人規模から101人規模の企業まで引き下げられますので留意が必要です。
労使トラブル
労使トラブルの火種を抱えたままM&Aを実施すると、M&Aを契機に炎上するケースもあるため現にトラブルが起きているものだけでなく、トラブルに発展しそうなものまでも含めて、ヒアリング調査していくことが大切です。
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注意すべき労務リスクの例
労務を軽視していると労務に関して様々な債務が発生し、M&A実施後に買い手に債務が移転することになります。
労働に由来する債務はすでに顕在化している顕在債務と、何かを契機に未払い賃金として請求されるおそれのある潜在債務に分けて考える必要があります。特に潜在債務の中でも多く散見されるのが割増賃金の算定ミスです。
通常、残業単価は月給額(例えば基本給+諸手当)を1か月平均所定労働時間で割り出し算出しますが、このとき分子の月給額から除外できる賃金は法律上、以下の①~⑦までの賃金だけとされています。
ただし、分子から除外できる手当は名称ではなく、実質で判断されます。例えば、住宅手当は、家賃などに応じて算定される手当でなければ「除外賃金」と評価されません。賃貸住宅の人には20,000円、持ち家の人には30,000円といった形で、住宅の形態に応じ一律⽀給しているものは、除外賃⾦に該当しません。
最近は、テレワークの浸透により、通勤手当に代えてテレワーク手当を支給している企業も増えてきました。一見、実費弁償的な手当として割増賃金の算定基礎から除外している企業も散見されますが、テレワークで使用した電気代や通信費と私的利用のものを見分けることは難しく、月額:数千円、日額:数百円といった形で一律額を支給している企業が多いと思います。
つまり、一律額ということは、実費以下の場合もあれば実費以上の場合もありますので、除外賃⾦と評価できず、テレワークをした⽇の残業単価には、割増賃⾦の算定に加えなければなりません。
また、未払賃金については、担当者の認識不足により知らずうちに発生させてしまっていたり、定額残業制や年俸制を導入していても一定のルールが守られていない場合、制度そのものが否定され、膨大な未払賃金が発生してしまっているケースもありますので、運用状況を詳細に確認していくことが必要です。
人事デューデリジェンスとは
会社の経営資源にはヒト、モノ、カネがありますが、ヒトに焦点を当てたデューデリジェンスが人事デューデリジェンスです。
ヒトは最も重要な経営資源であり、会社の将来は社内の人材次第です。
この認識の下、人事デューデリジェンスでは、M&Aの検討段階で、組織や人材面のリスクの洗い出しを目的として、人事制度の仕組みや運用、社員の構成、報酬やスキルなどに関する情報を収集、分析します。
PMIを見据えて、人事マネジメント上の課題を抽出する
M&A実施後の人事マネジメントを検討する上で課題となるものの調査を行います。
組織風土や社風
この会社の組織風土や企業文化、社風はどんな感じなのか。
人材構成
どんな人員構成でどれくらいの人件費で機能しているのか。
離職率
離職率は一定のマネジメント指標。中間管理職の離職が多い場合はマネジメントがうまくいっていないのか。
出向者
出向者が重要ポストを占める場合には、取引後は帰任が想定されるため、重要なポストの機能が失われないか。
報酬水準
報酬の決定方法は適正か。報酬水準が世間水準とかけ離れていないか。個人格差が異常でないか。
評価制度や退職⾦、福利厚⽣などの人事制度
人事制度について、買い手と売り手のギャップはどれくらいあるのか。
ガバナンス状況
運用実態と職務権限規程に乖離がないか。
従業員と労働組合の関係性
会社と従業員との関係は、「親和性のある関係」か「炎上する関係」か、ある程度融通の利く関係なのか。
PMIのイメージ
M&A実施後のPMIについてざっくりとイメージを掴んでおきましょう。
PMIは短期PMIと中長期PMIに分けて検討していく必要があり短期PMIは、取引直後に従業員の人的パワーを維持するための整備となります。つまり従業員がM&A直後に離職しないよう労働環境を整備し、事業を継続していくためのPMIと言えます。
一方で、中長期PMIは、従業員の人的パワーを拡⼤・拡充していくための制度整備となり組織がめざしている方向に同じ価値観をもち、組織パフォーマンスをあげていくための仕組み作りと言えます。
▼ PMIとは?については、以下記事をご覧ください。
ケーススタディ
以下のM&A案件をケーススタディにPMIでの取り組みについて見ていきましょう。
B社はA社が優位性を持つニッチな市場や技術力に魅力を感じて、M&Aに踏み切りました。
買収後において、事業継続上必要な人員構成を検討するために人事DDを行いました。
売り手のA社の人材構成は以下のとおりです。
A社の未来予測として、10年後には第一線で活躍する中間層が不足してしまいます。熟練工の高齢化も進行するでしょう。したがって、若手の採用を強化し、将来のリーダーを育成する必要があります。
上の図は過去3年間の離職状況を示しています。
20代や30代の若手の離職率の高さが深刻な状況です。人事DDの結果、マニュアルがないため指導する人によって教え方が異なり、「体で覚えろ」という職人気質の会社でした。会社の文化と若手の意識に乖離があり、結果として離職率が高くなっていました。
賃金水準を見てみると、50歳以上の賃金は同規模の会社の水準を上回るものの30代や40代は平均値を下回っており、典型的な年功序列です。これでは若手のモチベーションは上がらないでしょう。
以上の人事DDの結果を踏まえると、M&A実施後の進むべき道は明らかです。
若手に対する指導方法を改善し、若手の育成を強化します。そして、年功序列型の賃金体系を改めて、若手のモチベーションを向上させるのです。これによって、若手の定着率が向上し、会社全体の高齢化を止めることができるでしょう。
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まとめ
デューデリジェンス(DD)には労務DDと人事DDがあります。
労務DDとは、過去から現在までの労務コンプライアンス遵守状況を調査することです。M&A実施後に買い手が負うことになる労務関連の債務の把握を目的としています。
一方で人事DDとは、M&A実施後のPMIやそれに関連する人事マネジメントに役⽴てる情報を収集する調査です。
M&A実施後の短期PMIと中長期PMIがあり、短期PMIは人的パワーの維持を目的としているのに対して、中長期PMIは、従業員の人的パワーを拡⼤することを目的としています。
▼財務デューデリジェンスとは?については、以下記事をご覧ください。
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